Walk in the sky；そらのおさんぽ

「しっかりつかまってろよ、優。目はつぶってた方がいい」
「うん」

　龍一は優をつかまらせると、まず、「ベイタワー９０」の屋上まで跳躍した。
　誰もいない夜の屋上、フェンスの外側。
　海からの風が吹きすさぶ危険なこの場所は、もちろん立ち入り禁止だ。風は強いが、
　龍一がシールドを張っているので寒くはない。

「テレポートは初めてか？」
「う、うん。ちょっとびっくりしたけど」
　龍一はちいさく笑った。能力を全開にした彼の瞳は、深紅色のままだ。
「くっついててくれた方が俺は助かるが、ひとりで飛んでみたければそう言ってくれ。しばらくなら
　飛ばしてやれる」
「一緒の方がいいな。こんな高いところに来るの、初めてだし」
　優は夜景を見はるかす。雲もなく、視界はクリアだ。
　眼下に広がる街並み。その向こうには、外海をゆく船の灯がきらめく海が見える。

「下が見たいときは心を読めばいい。エコーロケーションにも遠すぎるだろう」
「ありがと、速水さん」
「じゃ、行くぞ」

　龍一は優の肩を抱き、何気ないふうに屋上のはしから足を踏み出した。ふたりのからだは落下するどころか、
　風を切って上昇してゆく。

　光をちりばめた地平線、闇を切り取るビルの明かり。

　しばらく優に夜景を楽しませたあと、龍一は高度を上げた。
　薄く上空を覆う雲を越えると、冴え冴えとした月光が照らす清浄な世界があった。そこは冷たく静かで、
　鳥の影さえない。

　平原のように広がる雲に、ふたりのシルエットが滑ってゆく。
　どこまでもさえぎるもののない夜空を飛行する快感。

「地上の気圧は保ってるけど、大丈夫か？　苦しかったらすぐに言えよ」
「大丈夫だよ。それより、すごいね。空の上ってこんななんだ」
「戦闘機にでも乗らなきゃ見られない景色だ。大サービスだぜ」
　優の嬉しそうな顔に、龍一も静かに微笑んだ。
「最後にもう一丁サービスだ。しばらく目をつぶってろ」
　素直に目を閉じる優をしっかり抱きしめると、龍一はさらに高度を上げる。

「もういいぞ」
「！」

　優は言葉を失った。
　目の前に、淡く光る大気のベールをまとった地球があった。大きすぎて一度に視野に入れることはできない、
　だが地平線の優美な丸みが分かる。

　暗い地上に金の粉をふりまいたような明かりの群れ。
　海上にも漁船やプラントの明かりが点々とともっている。
　その上を流れる白く輝く雲。

　美しい惑星だった。


　龍一にとってはただの気まぐれにすぎなかったのだろうが、優はこの夜の飛行が忘れられなかった。

　何年も後になって。
　海に棲む者でありながら彼の息子が、空へ、そして宇宙に憧れるようになったのはそのせいかも知れない。

おしまい 　ひとつ戻る