「野田先生、おつかれさまでした」
「おつかれさま。まだ、イブは終わっていませんよ。楽しんでいらっしゃい」
　夜勤が終わったのは、二十三時を回った頃だった。
「それじゃあ、お先に失礼します」
　最後の看護婦が退出する。
　惣一郎は明かりを消し、部屋を出ようとしたところで、ふと窓に目を向けた。
「冷えると思ったら……」
　暗い夜空から、羽毛のような白い雪片が、間断なく舞い下りてきている。窓際に
歩み寄り、冷えたガラスにそっと指を当てる。故郷の暗い冬空が思い出された。

　ロッカールームには寄らず、白衣を着たままで研究室に向かった。
　あと数十分で日付も変わる。
　が、急いで帰りたい理由があるわけでもなかった。ここでこうしてひとり過ごす
聖夜も、悪くはあるまい。コーヒーをいれ、降り続く雪を窓越しに見つめる。
　静かで平穏な夜だった。
　がたん！
「くそぉ。痛てて……」
　突然の物音と罵声が、静寂を破った。
　振り向くと、デスクと本棚の間にうずくまる影があった。さっきまで誰もいなかった
場所だ。
　そんな芸当ができるのは。
「龍一！」
「悪い。こんな晩にとは思ったんだが」
　龍一は座りこんだまま、背の高い相棒を見上げる。頬に切り傷があり、乾いた血が
筋になっている。カーキグリーンのジャケットも、下に着たシャツもトレーナーも、
あちこち切れて血がにじんだ跡がある。ジーンズにいたっては、片方のひざに大きな
穴が空いてしまっている。
「ここにテレポートするのも久々なんで、ちょっと目測を誤ったな」
　苦笑いしかけて、痛みに顔をしかめる。
「大丈夫なのか？」
　龍一に手を貸して立たせると、空いた椅子に座らせる。
「ああ、細かい傷はもう治ってる。けど」
　ぐうううう。
　言葉と同時に、龍一の腹が派手な音を立てた。
　惣一郎はぷっと噴き出してしまう。
「ロッカーに服が置いてあるから、着替えろよ。ちょっと遅いけど、食事に行こう。
俺も夕飯まだだから、クリスマスディナーってとこだな」
「恩に着る」
　龍一は頬を染め、無愛想な口調で言った。精一杯の照れ隠しであることは、表情を
見るまでもない。
「ったく。やつら、年中行事やこっちの都合なんて、おかまいなしなんだからなあ」
「こっちも似たようなものさ。こんな寒いのに、潜って事故るダイバーがかつぎ
こまれるんだから。信じられるか？　十二月にだぞ」
　くすっ、とちいさく龍一が笑う。
「ひとりで過ごすよりは、男ふたりの方が多少マシな気はするな」
「そゆこと。さ、着替えろよ。夜が明けちまうぞ」
　雪は音もなく降り積もり、街のすべてを白く染め上げつつあった。
　今宵一夜の静寂と平穏を約束するかのように……


　すべての人と、そうでない存在に。
　メリークリスマス！

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