あの日の秋葉原（某ゲーム発売記念）

　２月某日。
　話題の新作ゲームの発売日である。
　雪がちらつく寒さではあるが、秋葉原は人でごった返している。
「なんでみんな、こんなに並ぶのかなあ……」
　鼻の頭までマフラーをしっかり巻きつけ、優は首を傾げた。凍るような深海にも
平気で潜る彼だが、地上の冷たい乾燥した風は、どうにも苦手なのだ。今日は
フリースつきのウィンドブレーカーに手袋、ニットキャップという重装備である。

「そりゃ、やっぱ発売日に手に入れたいからだよな。ゲームは日本が世界に誇る
文化だもんなー」
　うんうん、とうなずき、流暢な日本語で返すのはミハエル。
　白に近い金髪とブルーグレイの瞳を持つ彼が、まったくのネイティブな発音で
しゃべると、前後に並んでいる学生ふうの青年と、会社をさぼって並んでいる風の
サラリーマンが、ぎょっとしたように振り返る。
「あに見てんだよ。日本語しゃべる外人が、んなに珍しいか？」
　からかうように言うと、揃って目をそらす。

「……日本人ってのはこれだから」
　苦笑し、黒いフェイクファーの縁取りのついたダークグレイのコートの襟を
かきあわせる。コートの下は、柔らかなニットにブラックジーンズ。黒一色の装い
に、首から下げた銀のクロスが唯一彩りを添えている。「天使」の名を持ちながら
神を信じない彼の、皮肉なユーモアではある。

「で、優。なんでお前まで並んでるんだよ？　うちの分は俺が買うって言った
だろ？」
　いぶかしげに白銀のライオンヘアを揺らし、かじかんだ手をポケットに突っ込む。
「ひとりで並んでるより、話してた方が楽しいでしょ？　それにね、母さんに頼まれ
たんだ。発売日に買って、はやく持ってきてほしいって」
　くすくす笑うミハエル。
「こないだの、俺の洗脳がよっぽど効いたみたいだな」
　洗脳と言っても、彼の持つ暗示能力を使ったわけではない。単に、優の様子を見に
やってきた優の母、マーナに、ありとあらゆるＴＶゲームをやらせたのだ。
　そういった娯楽に免疫のなかった彼女は、帰る頃には、しっかり重度のゲーム中毒
になってしまっていたのだ。

「母さんたら、帰ってからもゲームしたいってうるさくて、父さんすっごく困って
たんだから〜」
　優も苦笑する。
「それでね、船に、発電機とゲーム機とモニターまで入れたんだって」
「親父さん、ベタ甘だよな〜。ま、あのお袋さんにかかっちゃ無理ないか」
　マーナは年齢に似合わずミーハーで、少女のように無邪気で、自分の欲望に素直
なのだ。初対面のミハエルにいきなりディープキスをかましたほどで、さすがの
ミハエルも、彼女にはまったく抵抗できなかった。

「ま、いいことなんじゃないのか？　流行に遅れないってことは」
　ふと顔を上げたミハエルは、淡い色の瞳を見張った。
「おい優、あれ……」
　優は人込みの間からのぞくように一生懸命背伸びをし、どうにも見えないことに
あきらめると、ミハエルの心をのぞき込んだ。
「うそ……　なんで、こんなとこに」
　優よりも頭ひとつ高いミハエルの視線からは、行列の先の方まで見渡せる。ほっそり
した肢体、背中に艶やかな黒髪を編んでたらした姿には見覚えがあった。
「あれ、おまえのお師匠さんだろ？」
「サキさん……」
　優は絶句した。
「あのさあ、あのひとって、ここのゲームメーカーに出資してんじゃなかったっけ？
わざわざ並ばなくたって」
「会社の方はね。だけど、たぶん、並ぶのは趣味なんだと思うよ」
　ミハエルは首を振り、理解できないというように肩をすくめた。

　
「あん、痛いわよ〜。蓮、お願いだからそぉっとやって」
　尾ひれをぱたんぱたん、と船底にリズミカルに打ち付けながら、マーナが言った。
「こんなになるまで水から出てるから。しばらくゲームはおあずけだな」
「いやよ！　あ、痛たたた……」
　美しい光沢を帯びているはずの鱗が、乾燥しきって粉を吹いたようになっている。
そっと薬を塗ってやりながら、蓮は苦笑を禁じ得なかった。
「ったく、悪い遊びを覚えてきたもんだよな……」

　とゆーわけで、某ゲームは人間以外にも好評なのであった。

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