人魚たちのセッション

キャラのイラストはここ。 『人魚舞星』 MM084 のサイドストーリーです

　海に近い、とある街角。春分の日を過ぎたとは言っても、夜はまだまだ冷える。
　風に身をすくめるように歩く、青年と少年のふたり連れ。
「優、まだ我慢できるか？　辛かったらおぶってやってもいいぜ」
　少年は頬に朱を散らし、首を横に振る。
「いいよ、そんなの！　それに、タカさんに会ったら、すぐに海まで乗せて行ってくれるでしょ？」
　櫂は、ほんのすこし眉をひそめる。
「無理だけはするなよな。おまえは、俺よりずっと……」
　あとは言葉にせず、表情を和らげると手のひらで優の頭をぽん、と叩く。
　そのとき、風向きが変わった。風は音を運ぶ、ふたりの耳に。

………♪…♪…♪♪…………♪……♪♪………

「ん？」
「あ」

　同時に足を止め、視線が交わる。
「きれいな声……」
　夢見心地といったふうに、ちいさなため息とともにつぶやく優。
「母さんの歌に似てるけど、なんだか、胸のずっと奥まで届くみたい」
　人間の耳にはとどきはしないだろう微かな声は、何故か懐かしさすら感じさせた。
　櫂もまぶたを閉じ、爪先でリズムを取りながら聴き入っている。
「同族？　こんな場所に……　俺たち以外に、酔狂な連中が地上に来てるってのか？　珍しいこともあるもんだな」
「女の子ふたり、だね。気持ちよさそうに歌ってる」

　街角に立ち止まったふたりの喉から、半ば無意識に歌声があふれた。
　微かに聞こえる歌声を追いかけ、調和する。遠く離れて鳴き交わすクジラたちと同じく、うたを歌うことは、
ほとんど彼らの本能と言える。
「セイレーン」とも呼ばれる、彼ら海に棲む者たちの。
　変声期前の少年の声と、すこしハスキーで力強い青年の声。打ち合わせたわけでもない即興だと言うのに、
素晴らしいハーモニーを紡ぎ出す。
　通行人が立ち止まり、遠巻きに輪を作り始めた。ちいさなコンサートは、路上で聞けるレベルを、はるかに超えていた。
もっとも、並みの歌い手では、彼らの歌を超えることなど、到底できはしないだろうが。
　人間の耳には、ふたりの歌しか聞こえない。だが、高さも質も違う四つの声は、信じられないほどの調和を生み出して
いるのだった。波を切って進むイルカの群れのように、追いかけあい、からみ合う歌声。

　遠く聞こえる声の調子が、すこし変わった。
　ふたりの歌に応え、セッションを挑んでくるように。
（そうこなくちゃな）
　櫂は優に目で笑いかけ、クライマックスに向けて歌い上げる。
　最後の和声。その余韻が消えると。
　思いがけなく大きな拍手が、ふたりを包んだ。
　見回すと、結構な数の通行人が取り囲み、夢中で手を叩いている。中には、目に涙をにじませている者すら混じっている。

「……やべえ。つい、思いっきり歌っちまった」
　櫂はちいさく舌打ちし、優は耳まで真っ赤になった。
　拍手を続ける観客をかき分けるように、その場を立ち去ろうとする。と、櫂の肩を、誰かがかるく叩いた。
「おい、おまえら。こんなとこで何やってんだ」
　笑いを含んだ、なじみのある声。
「あ、巽さん」
「タカさん！」
　隆之は優の手を引いて足早に歩き出し、櫂もそれに続く。背後では、まだ散り切らない群集が、アンコールを求めて
ざわめいているようだった。
「待ち合わせ場所に来ないと思ったら、街頭ライブとはな。ったく、人魚ってやつは」
　苦笑混じりに、だが、楽しそうに振り返る。櫂は無言で肩をすくめた。
「そこに車が駐めてあるからな。で、いったい何があったんだよ」
「あのね、タカさん。聞いてくれる？」
　隆之の問いに優は目を輝かせ、遠く聞こえた歌声のことを話し始めた。


　同じ頃。
　カラオケステージのある、どこかのナイトスポットで。
　この場所も、グラス片手に涙ぐむ客、拍手する客でいっぱいだった。拍手の対象は、いまステージを降りてきた
ふたりの少女だ。
「すごかった！　良かったよぉ、ラミアちゃん、美月ちゃん」
「ほんと、すごかったね。途中から、急にがんばって歌ってなかった？」
　璃奈としおりが、口々に言った。
「ちょっと、ね」
「対抗意識かな」
　ボックス席で待つ友人たちにはよくわからないことを言って、髪の長い、人間離れした美しさを持つ
ふたりの少女は、謎めいた笑みを交わしあったのだった。

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