「ミスタ・デイヴィス」
　言葉は白い息となり、路地の空気に溶け込んでゆく。
　今にも雪になりそうな、厚い雲に覆われた空。
　こんな夜だから、見ているものはいまい。誰かが見ていたとしても、
明日の朝までにはその記憶も消えるだろう。
　俺はそれを、存在した痕跡すら残さずに消去してしまうことができるからだ。
『催眠暗示』という、持って生まれた能力で。

「これをどうぞ。〈ガーデン〉からの贈りものです」
　深紅のスカーフに包まれた、ずっしりと重い塊。
　催眠暗示の支配下にある相手は、なんの疑問もなくそれを受け取る。もしも彼が
正気だったとしたなら、「贈りもの」が何を意味するのかに気付き、恐慌を来して
いるところだろう。

　彼がスカーフの端をつまみ、包みを開けるのを、俺はロングコートのポケットに
手を突っ込んだまま見つめている。
　かすかな衣擦れの音を立ててスカーフが舞い落ちると、彼の手には、オーストリア
製のハンドガン、グロック１９があった。
　グリップを握った右手が上がり、遅滞のない動作で銃口をこめかみに押し当てる。
　彼の瞳はなにも捉えてはいない。俺も、路地の汚れた壁も、己の未来さえも。

『撃て』
　俺は言葉によらない命令を、彼の精神に（あるいは脳髄に）叩き込む。
『指に、力を込めるだけでいい。トリガーを引くんだ』
　弱々しい抵抗を、俺は難なく屈服させる。

『引け！』

　銃声。
　路地に倒れた彼の、急速に温もりを失いつつある身体のうえに、雪が舞いおり始めた。
　予期せぬ死を迎えた男への、天の祝福のように。



　……冬が終わる。
　春、そして初夏。
〈ガーデン〉からの脱走のチャンスが訪れたのは、極東のとある都市でのことだった。

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