Shadow of the DRAGON　【Side YOU】

　うたたねしていた優の心を、何かがよぎった。

（誰？　そこにいるのは）

　水槽の中、髪を揺らして身を起こす。
　優はその晩、惣一郎の研究室に泊まっていた。浴槽ほどもあるおおきな水槽が、彼のベッドだ。

　明かりを落とした研究室の向こう側に、人の気配。
　そこには仮眠用のベッドがあり、惣一郎が眠っている。
　が、特殊な精神構造を持つ惣一郎の心は、優にも読むことはできない。
　彼の気配ではないだろう。

　夜目の利く優にも、人の姿は捉えられなかった。視覚以外の感覚でも同様だ。
　なのに、誰かいる。
　惣一郎が眠るベッドのそばに、気配だけが感じられるのだ。

　それなら。
　優は目を閉じた。
　心を凝らし、精神の触手を伸ばす。

　そこにいたのは、
　龍。
　そんな生き物を見たことはない。けれど、そう感じた。
　深紅のオーラをまとった伝説の獣。

（……あなたは）

　思わず発した問いかけがその心に届いたのか、
　『気配』が振り向き、優を『見た』。
　途端、感じたのは圧倒的な力。そして、深い悲しみと慈しみ。

　と。
　唐突に気配が消えた。
　その寸前に一瞬だけ、彼の姿が見えた。
　気配の主は年若い青年のようで、
　美しい深紅の瞳を持っていた……


　優は目を開け、心を落ち着かせるために何度か深呼吸した。
　惣一郎を起こさないように、そぉっと水面に顔を出す。　

　部屋の中には何も変わったことはない。
『彼』の心だけが、ここを訪れていたのだ。
　おそらくは透視能力者。
　あの紅い瞳で、惣一郎を見つめていたのだろう。
　思い切り心をひろげて探知しても、もう、どこにも気配は感じられない。
　彼の透視能力の感応範囲の方が、優のそれよりも広いらしい。

　地上にも、あんな能力者がいるのか。
　優は感嘆した。
　それから水に身を沈め、ひとり、首を傾げた。
　あのひと、野田さんとどういう関係なんだろう。
　なんだか泣いてるみたいに見えた……


「おはよう、優くん。よく眠れましたか？」
　水槽から半身を出して伸びをする優に、惣一郎が微笑みかける。
「おはようございます、野田さん。ちょっとだけ、寝不足気味かな」
「珍しいですね。水温調節でもまずかったんでしょうか」
「水は気持ちよかったよ。体調のせいだよ」
　優はつかの間言いよどみ、
「それより野田さん、何か夢を見なかった？」
　遠慮がちに訊ねる。妙な質問に、惣一郎は色素の薄い瞳をぱちくりと瞬かせた。

「なにか感じたんですか。僕の心は読めないはずでしょう」
「うん、だから聞いたんだ」
　真剣な表情で優が言った。
「そうですね。懐かしい友達が会いにきてくれた夢を見た、ような気がします」
「もしかして、そのひと」
　優は言いかけて、昨夜見た青年の紅い瞳を思い出す。
　悲しい瞳だった。

「どう言ったらいいのかな。ええとね、野田さん、知り合いに透視能力者はいないかな」
「いる、と言えばいます」
「その人に連絡取れる？」
　惣一郎は即座にかぶりを振った。
「いいえ」

　優はたまらなくなった。
　聞いてはいけないことを聞いてしまったのかも知れない。
「野田さん……」

　惣一郎の顔を一瞬よぎった、悲しみの影。
　そんな表情は彼らしくない、と優は思った。だが、惣一郎の心の奥底には気弱でナイーブな部分が
あることも分かっていた。その、普段はひとに見せない部分が露出している。
〈ステンレス・スチール・ハート〉と異名を取る惣一郎の心の鎧がはがれるのは、優の知る限り、わずかに
これで二度目だ。あのときも彼は、見るものの胸をしめつけるような悲しげな顔を、ほんの一瞬だけ見せた
のだった。

　惣一郎の、そしてあの『龍』。
　彼らの望みは、いつ叶うのだろう。
　いったい何が、ひかれあう彼らを妨げているのだろう。

（お願いだから、野田さんをあんまり待たせないで。早く会いに来てあげてよ）
『龍』の面影に向かって、優は心でつぶやいた。

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