ティファナの願い……　星空へ……

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　ティファナ、どうして俺をおいて逝ってしまったんだ？
　お前がいなくては、俺も死んだも同じだ。船に乗れない宇宙船乗りなんて、生きていてもしょうが
ないじゃないか……
　涙がグラスに落ち、琥珀色の水面に波紋を広げる。
　ティファナ。
　彼女は、かけがえのない相棒だった。


　惑星〈蒼海〉は辺境の星だ。
　表面積の九十八パーセントが海に覆われており、宇宙空間から見る姿は、青く輝く水滴のようだ。
あまりに中央から離れているために、ほとんど開発は進んでいない。せいぜい民間企業の手で金属鉱床の
調査が行われている程度だ。

　この星には、ティファナと最期の数週間を過ごすためにやって来た。彼女を母星に帰してやりたかった
が、地球は遠すぎた。死期の迫った彼女を、せめて地球に似た海のあるこの星で過ごさせてやろうと思った
のだ。わずかな休暇だったが、彼女は幸せだったと思う。いや、俺の思い込みではなく、幸せだったと
信じたい。


　ティファナに別れを告げてから、俺は虚脱状態で酒場に入り浸っていた。
　相棒を失い、船は航行不能に陥っていた。こんな辺境の星では、いや、どこの星だろうとコ・パイロットを
補充することはできないだろう。
　彼女のかわりをつとめられる者など、見つかるはずもないからだ。

「おじさん、宇宙船乗りでしょう？」
　俺は酒で濁った目をあげた。
　テーブルの向こうには、オーバーサイズのマントをまとった小柄な姿があった。
　フードを目深に下ろしているので顔も分からない。が、声と体型から子供なのは間違いない。

「もと宇宙船乗り、と言った方が正しいな。それに俺はおじさんじゃない。標準年齢でまだ二十四だ」
「ごめんなさい、お兄さん」
　子供はしおらしい声を出した。こんな子供から見れば充分におじさんに見えるだろうに、俺の機嫌を
そこねたくない一心なのだろう。
「で、何の用だ」
「船に乗せて欲しいんだ」
　意を決したように、子供は言った。こぶしを振り立てて、懸命な様子で。
「お願い！　なんでもするから、ここから連れ出して」
　見ると、どういうわけだか両のこぶしには指先にまで布が巻いてある。

　酔いの回った頭に、ほんの少し興味の光がともった。
　宇宙船乗り志願の子供か。
　眠ったようにゆっくりと刻が流れる辺境の星で、血気にはやる若者が星の外に出たがる気持ちは
分からなくはない。俺も昔はそうだった。船を手に入れ、ティファナに巡り合うまでは。
　だが、彼女はもういない。

「相棒がいなくなっちまったんで、船は飛ばせないんだ。お前がコ・パイロットをやれるっていうんなら
別だけどな。悪いが、ほかを当たってくれ」
「できるよ！　一生懸命勉強したんだ。船を動かしたことはまだないけど、すぐに覚えるよ」
　必死で言い募る。
「熱意は買うが、どのみち人間には無理なんだ」
　情にほだされそうになるが、それでも希望をかなえてやることはできない。
　何故なら。
「俺の船はＤ船、〈ドルフィン・シップ〉なんでね」
　息を飲む気配。
　だが、子供はくいさがった。
「僕にならできる。船に乗せてくれれば分かるよ！」
「ばかなことを言うんじゃない。〈ドルフィン・シップ〉がどんなものか知ってるのか？」

　知性化したイルカを副操縦士にした船は、そう多くない。
　イルカは保護種族に指定されているし、操縦士と相性のいいイルカを見つける確率なんて、それこそ
天文学的に低い。
　俺がこれまでやってこられたのも、奇跡のようなものだったのだ。
「僕、イリリイーリー。イリリって言うんだ。また明日来るから……」
「これ以上話しても、何もしてやれないぜ。家に帰りな」
　もう話すことなどないという態度で視線をそらす俺に、子供は首をうなだれた。
　重い足取りで酒場を出て行くのを見送り、グラスをあおる。
　それにしても、あんなに目深にフードをかぶってて、よく前が見えるもんだな。そんな取り止めのない
ことを考えながらグラスに酒を満たす。こうやって何本ボトルを空けたのか、もう自分でも分からなかった。

　これを一本飲んだら踏ん切りをつけよう、そう思い続けて一週間近い。
　次の定期船が来るまであと三日。それまでに船を売る手続きをしなければならない。船を処分し、中央星系
へ戻る。どこかの輸送会社にでももぐりこんで金を貯め、今度はごく普通の船を買うのだ。

　だが、俺はずるずるとそれを引き延ばしていた。
　奇跡がおこるのを期待してでもいるかのように。
　ティファナと出会ったような幸運が、そう何度も起こるはずはないと知っていながら。


「明日の午後、プラントの担当者が来ますから。いやあ、もったいないですな、こんな芸術的な設計の船を
処分するなんて」
　ジャンク屋の親父は、俺の神経を逆なでするような発言をしたことに気付き、口をつぐむとあわてて船を
出ていった。

　衛星軌道上にある宙港に停泊したままの俺の船〈カローン〉。
　地球の古い伝説に言う「冥府の河の渡し守」の名だ。縁起でもない名前だが、不吉な名前をつけることに
よって、逆に不運に会わないようにという願いから命名されたものだ。ジンクスを信じるわけではないが、
事実として手に入れてからは大きな事故には一度も遭遇していない。

　処分などしたくはなかったが、短距離ならともかく、ナビなしで中央や地球まで飛ばすのは無理だ。
飛べない船なんて、維持に金がかかるだけの金属塊に過ぎない。仕方がないと自分に言い聞かせ、操縦室を
見渡した。
　俺の座る耐Ｇシートの後ろには大きなタンクがある。
　そこには、いつもティファナがいたのだ。

　イルカの持つ優れた空間把握力をシステムのコアにした〈ドルフィン・シップ〉。
　彼らが海のなかでエコーロケーションという能力でものを「見ている」のと同様に「宇宙を感じる」ことが
できるように作られている。俺はティファナのナビゲーションに従って全速で飛ばし、船はイルカ自身のように
宇宙を駆ける。
　人工脳やＡＩなどは足元にも及ばない機動力を発揮する〈ドルフィン・シップ〉。こいつよりも足の速い船は、
いまのところ、この銀河には存在しないだろう。
　それも優秀なイルカがいてこそだが。

　俺は思い出を振り切るように船を後にした。


　今日は〈カローン〉が処分される日だ。
　船をつぶして査定した後、ジャンク屋が経費を差し引いた金を持ってくる。それを受け取ったら、明日には
定期船でこの星ともおさらばだ。

　宿の食堂で遅い昼食を食べていると、またあの子供がやってきた。
「しつこいな、お前」
「何回でも来るよ。うんと言ってもらうまでは」
　俺は嘆息した。
「おまえ……イリリって言ったっけ、そんなマントを着たままで頼みごとするなんて、ちょっと無作法だぞ。
顔くらい見せたらどうなんだ」
　その言葉に、イリリはひるんだようだった。
「よそ者に見せちゃいけないんだ。禁忌なんだよ」
「ばかを言うな。未開の星じゃあるまいし、そんな話、聞いたこともない」
　思わず噴き出し、爆笑してしまった。こんなふうに笑ったのは、ティファナを失って以来、初めてのこと
だった。

　笑われて気を悪くしたらしく、イリリは固い声で言った。
「見せてもいいけど、僕を船に乗せるって約束してくれる？」
「ああ、いいよ」
　どうせ処分することに決めた船だ。一度操縦室に入れてやればあきらめもつくだろう。
　と、突然イリリが血相を変えた。
「処分するって……　どうして！　ティファナはそんなこと望んじゃいないよ！」
　今度は俺が顔色を変える番だった。
「なんで、そんなことを知ってるんだ」
　船を処分することも、彼女の名前も口に出した覚えはない。
　しまった、というようにイリリは口をつぐんだ。

「イリリ、隠してることがあるなら全部言えよ。そんなんじゃお前を信じていいのかどうか分からない
だろう？」
　ためらう気配。フードの影に、碧い瞳がきらめいた。
　そして、ちらりと見えたものは……？
　いや、たぶん見間違いだろう。

　しばしの沈黙の後で、イリリは言った。
「どこか二人きりになれる場所があったら、そこで話すよ」
　なんだかおかしな展開になったが、イリリの話を聞きたくなったのは事実だ。それに、彼の言っている
ことが嘘だとしても、失うものなど何もない。
「オーケー。それじゃ、俺の部屋に行こうか」
　イリリは無言でうなずくと、後に続いた。


　マントを脱いだ姿は、まだ子供の域を出ない少年だった。ゆるやかな上着と膝丈のパンツ。細っこい手足
には布を巻いている。
　俺を驚かせたのは、その髪の色だった。
　さきほど見間違いかと思ったそれ、背中まで不揃いに伸びた長い髪は、鮮やかなライトグリーンだったのだ。
　人類も様々な星に移住してバラエティに富んだ変種・亜種が生み出されているが、緑色の髪を持った種族など
聞いたことがない。人間の髪の色素として有り得ない色なのだ。
　手足に巻いた布を取ると、さらに仰天させるようなものが見えた。
　真珠色の鱗が手の甲からひじまでとすねのあたりを覆い、手足の指の間にはちいさな水掻きがあったのだ。

「イリリ、お前まさか」
　もしかして、生体改造？
　違法な遺伝子操作で生まれたバイオロイドか、サイボーグなのだろうか。どちらにしても重犯罪ものじゃ
ないか。
「改造なんかされてない。僕たちの種族は昔からこうなんだ」
「なんだって」
　言わなかったことに対して答えが来た。これで二度目だ。
「ごめん。つい、心を読んじゃうんだ」
　てれくさそうに笑い、言葉を継いだ。
「僕らはずっと海に住んでたんだよ。あなたたちが知らなかっただけでね」
　俺は、イリリのことをどう考えていいのか分からなかった。信じがたい話ではあるが、なにしろ目の前に
生きた証拠がいるのだ。
「お前らは、その、いわゆる」
「そう。地球の伝説で言う〈マーメイド〉とか〈セイレーン〉とかいう種族だよ」
　また、心を読んだらしい。
　俺は心の中で無限の女神インフィニティをののしった。
　……イフニ！　あなたはまったく悪い冗談がお好きですね。

「イリリ。お前は本当に、ティファナの代わりができるって言うんだな」
「イルカにできることなら、全部僕にもできるよ」
　イリリは口の端をきゅっとあげる、愛敬のある笑顔を見せた。
　彼が目を隠していてもぶつかりもせずに歩けたのは、イルカと同じ能力、音波の反射でものを識別する
エコーロケーションのおかげだったのだ。
「能力はともかく、星図くらい読めるんだろうな？」
「ティファナに聞いたから、初歩的なことは覚えてる」
「ティファナに？　そうか、海で会ったんだな」
「うん。僕が船に乗りたいって言ったら、いろんなことを教えてくれた。彼女の望みはね、自分がいなく
なってもあなたに船を降りて欲しくないってことだったよ。あの船で、自分の分まで航海を続けて欲しい
って……」
　イリリの言葉を聞きながら、俺はティファナのつぶらな黒い瞳を思い出していた。
　彼はティファナがのこした遺産だったのだ。俺はひとりでは船を飛ばせないし、彼の乗れる船は
〈ドルフィン・シップ〉以外にはないだろう。
　俺たちは、お互いを必要としているというわけだ。

　イリリがターコイズブルーの瞳で俺を見上げてくる。
　まっすぐで恐れを知らず、宇宙への憧れに満ちたその瞳。
「僕を連れていってくれる？」
「……ああ」
　うなずき、なごみかけた俺は大切なことを思い出した。
「やべえ。ジャンク屋の親父に連絡しないと、船がつぶされちまう」


　すんでのところで処分を免れた〈カローン〉で、俺たちは〈蒼海〉を後にした。
　イリリは〈蒼海〉の海水を満たしたタンクの中にいて、目が合うと無邪気な笑みを見せる。船に乗れたこと
が嬉しくてたまらないらしい。
　彼の情熱は、俺と船をよみがえらせるには充分だった。
　まだまだ技術は未熟だが、イルカと同じことができるうえに、人間と同じ頭を持っているのだ。経験さえ
積めば、優秀なナビゲーターになるに違いない。

　今日からはこの船を〈ドルフィン・シップ〉と呼ぶわけにはいかなくなってしまったが、奇跡が二度も
訪れるなんて、こんな幸運な宇宙船乗りはめったにいない。
　お前もそう思うだろう、ティファナ？
　俺は〈蒼海〉に眠る彼女にそう問い掛けながら、進路を中央星系に向けた。

おしまい　 　ひとつ戻る　 　第２話へ