彼と彼女のトラブル（２）

　それから三日間、優は学校に来なかった。

　四日目。日曜の午前中に。
　玲（あきら）は優の下宿先、隆之の家を訪れた。海沿いの道に面したダイビングショップ、優と隆之は
　その上階に住んでいるのだ。

　呼び鈴を押す。すこし間があって、寝ぐせのついた髪のまま、隆之がドアから顔をのぞかせた。
　ロックを開ける音がしなかったところを見ると、不用心にも施錠しないまま眠りこけていたらしい。

「こんにちは」
「あ、おはよう、レイちゃん。ごめん、優は今いないんだ」

　寝ぼけまなこの隆之。玲のことをレイと呼ぶのはいつものことだ。
　玲は息を吸い込み、意を決したように低い声でたずねる。

「優は、海にいるんですね」
　隆之は目を見開いた。
「……そうか、知っちまったんだな」

　リビングのテーブルに座った玲の前に、隆之はコーヒーカップを置いた。玲には砂糖とミルクをすすめる。
　自分はブラックのまま一口すすり、切り出した。

「あの日、優は制服ごとびしょ濡れで帰ってきたんだ。えらく消耗した感じだったんだが、何も言わないから
　俺も追求はしなかったさ。やつはカバンだけ置いて、その格好のままで、出ていっちまった。で、それっきり
　今日まで音沙汰なしだ」
　隆之の視線をたどる。壁にはきちんとプレスされた予備の制服がかかっている。

「どうしよう、優がこのまま帰ってこなかったら」
　あの時のことを、つかえながら話し出す。握りしめた手が震えている。玲は長いことかかって話し終えた。

「あたしが……あたしが悪いんです」
「おいおいレイちゃん、言っとくが、君は悪くなんかないぜ」
　隆之は大げさに眉をしかめてみせる。
「自分を責めるなよ。いきなりそんなことになって、ショックを受けない方がどうかしてる。それに、
　いつかは優が自分で話すはずだったんだ。ミハエルの奴がちょっかいかけたせいで、君には辛い形になっち
　まったけどな」

　玲は優の姿を思い出していた。
　水の中から自分を見つめていた碧い瞳。
　美しい、でも異質な生きもの。優が人間じゃなかったなんて。

「自分の目で見ても、まだ信じられないんです。巽さん、優は何者なんですか？　どうして陸にいるんですか？
　あのときだって、すごく苦しそうだったのに、あんなになるまで我慢して」
　隆之は苦笑いして、冷めたコーヒーを飲み干した。
「やつが何者かってのは、そうだな、人魚とか水棲人っていうのが一番わかりやすいだろう。最初はただ単に
〈おか〉の生活に興味があったみたいだな」

　無意識にコーヒーカップを取り上げ、空だということに気付いてテーブルに戻す。
「なんで学校に通うことを望んだか、ってことだけど」
　隆之は憔悴した様子の玲を見やり、ためらいながらも言葉を継いだ。
「レイちゃん、君にはたぶん、その理由が分かってるんじゃないのかな」

　玲は膝に目を落とした。
「……あたし、よく分かりません」
　ポニーテイルに結い上げた玲の首筋で、細い後れ毛がかすかに震えている。
　隆之はひとつ息を吐いた。

「どんな存在だとしても、優は優だ。そうだろう？」
　隆之はテーブル越しに手を伸ばし、不器用な手付きで玲の髪をなでた。
「帰ってくるよ。きっとな」

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